生産者紹介-農業組合法人【土実樹】

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生節屋に生まれて

 きれいに整えられた形。切ると中から現れるピンク色の身。しっとりとやわらかく、スモーキーな香りと、カツオ特有の酸味をともなった旨みが口いっぱいに広がる・・・。

 南伊勢町の郷土食「鰹生節」はカツオを茹でてから燻製にしたもので、いわば半生状態の鰹節。古和浦地区にある明治28年創業のヤマ加商店では、50年以上前から鰹生節を作り続けてきました。

「その頃からカツオがよく獲れるようになって、保存の目的もあったんでしょうね」と話すのは四代目の奥村兼一さん。今年37歳になる兼一さんは、高校卒業後に名古屋で就職。10年前に帰郷し、父親の兼敏さんの元で修行を始めました。

「小さな頃から手伝いはしていました。家族でつくっている環境なので、時期がきたら自然と後を継ぐものだと思っていましたね」

 昨年、兼敏さんが亡くなり、現在は母親の育子さんと妹さんの3人で、兼敏さんの作り方を忠実に守りながら、製造を続けています。

「父は多くを語らない人でしたので、言葉ではなく、見てまねて学びました。魚の扱いかたひとつ、作業場での立ち回り、売り方など、そこにはひとつの哲学があったように思います。今になってようやくわかることも多いです」と兼一さん。

「経験はまだまだ私の方が長いよね」と、お嫁に来てからずっと生節づくりを手伝ってきた育子さんが、兼一さんのそばで温かくほほ笑みます。

受け継がれる手作り

 地元のカツオ漁師が少なくなった今、カツオは紀伊長島や尾鷲など近隣の漁港に水揚げされるものを使用。鰹節とは違い、少し脂ののったものの方が生節にはむいているそうです。

 まず、三枚におろしたカツオを煮籠に並べ茹でます。並べ方にも経験を必要とする重要なポイントが。

「尾の部分が重なるように互い違いに並べるのですが、立てすぎても寝かせすぎてもいけません。ちょうどよい角度があるんです」

 沸騰すると身が崩れてしまうので、水を少しづつ入れて調整。生煮えだと保存がきかず臭みもでてしまうので、旨みが逃げない程度によく煮ることが大切とのこと。茹で終えた身は冷水にとり、皮のかたい部分と中骨を手作業で取り除きます。

 さぁ、いよいよ燻す作業です。「焙乾(ばいかん)」といい、遠火の直火で、煙と炎の両方を用い、3~5時間かけ燻していきます。薪には備長炭の原料にもなるウバメガシの原木を使用。火力が強く長持ちし、香りもよいそう。焙乾は、カツオに含まれる脂、水分、その時の気温や湿度などにより、適度な火力や煙の量、時間などを細かに加減します。長年の経験と勘がものをいう大切な作業です。

「毎回試行錯誤です。獲る季節によってカツオの状態はまったく違う。出来上がったものは毎日味見をします」

 燻し上がった生節は、さらに中骨を取り除き形を整えて完成です。

「おいしさはもちろんですが、カツオは昔から祝い事に使われてきた魚なので、できあがりの形にもこだわっています」

 たしかに、ヤマ加商店さんがつくる生節の、ギュッとくびれのあるラインには、日本刀を思わせるような、緊張感をもった美しさを感じさせます。

「満足のいくものができた時はとてもうれしいですね。おいしく食べてもらえよ、ってお客さんの元に送り出すんです」

古和浦で生きていく

「南伊勢町古和浦はいいところですよ。自然がいっぱいで。

 今は仕事と生活で手一杯で、自然の中で遊ぶことはないですけど、子どもの頃はよく海で釣りをしましたね。古和浦には砂浜がないので、泳ぐのはもっぱら川。友人の親が漁師だと、漁船にのせてもらって、沖で泳いだり、車や徒歩ではたどりつけない無人のビーチに連れてってもらったこともありましたね。」

 地元の中学を卒業後、伊勢市の高校に進み、名古屋で就職。

「魚市場での仲卸の仕事では、いろいろな種類の魚の扱い方や流通を学びました。運送業や接客業のバイトも経験し、振り返るとそれが今とても役に立っています。町にそのままいたら、わからなかったことがたくさんあるかもしれないので、一度町から出るのはよい経験になると思いますね。まぁ、なんでもやってみたい性分なんですよ」と笑う兼一さん。

   

「鉄道もコンビニもないけど、昔からそうなので、とりわけ不便だとは感じてないですね。小さな町なので、ほとんどの人が顔見知り。若い子も、お年寄りの方も声をかけてくれます。古和浦の人はさっぱりしてますよ。漁師町だからかな。細かなことは言わない。そして声が大きい(笑)。女性は元気いっぱいでたくましくてかっこいい人が多い。よい町ですよ。」




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